【原始布の原料】
●原料
古代の原始布といわれている布の原料とされるものには
木(樹皮繊維)から | 藤(フジ)・シナ・穀(カジ)・楮(コウゾ)・桑(クワ)・オヒョウ・棕櫚(シュロ)) |
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草(草皮繊維)から | 麻(アサ)・蕁麻(イラクサ)・葛(クズ)・赤苧(アカソ)・青苧(アオソ)・藪苧麻(ヤブマオ)・野苧麻(ノガラムシ)・芭蕉(バショウ)等 |
他に、裂織(後述)を作るために古着を裂いて織物用の糸として利用するものもあるようです。
●古墳時代
原料の多くは麻の仲間や蔓性植物ですが、身近の山野に自生する野性の草木でした。その樹皮や草皮を①剥いだり、②(灰汁で)煮たり、③繊維を裂く、等の加工を施して布帛を作ったようです。(現在もこういったやり方で創られています。)
そういった事実は各地の縄文遺跡の中で見られ、例えば縄文時代早期(約8000年前)には宮崎市の椎屋形(しいやがた)第二遺跡をはじめとする南九州地方で、そして前期(約6000年前)には、福井県三方町の鳥浜(とりはま)貝塚、山形県高畠町の押出(おんだし)、青森市の三内丸山(さんないまるやま)等、と北日本の遺跡にまで広がって行きます。これらの遺跡では麻の仲間の繊維であるアオソやアカソ等のイラクサ科の植物でつくられたムシロのように経と緯に編み込まれた編物(後の編衣=後述)のようなものが出土されています。又、そういった編物と木槌などが一緒に出土している遺跡もあり、これらは木槌で叩いて風合いを改善させたのではないかと思わせるものです。
最近ですが、`01年には北海道恵庭市のカリンバ3遺跡で、動物性のたんぱく質は自然界で分解しやすいのですが、縄文時代後期末(約3千年前)の絹の可能性が極めて高い繊維の痕跡も見つかっています。
そういった事実は各地の縄文遺跡の中で見られ、例えば縄文時代早期(約8000年前)には宮崎市の椎屋形(しいやがた)第二遺跡をはじめとする南九州地方で、そして前期(約6000年前)には、福井県三方町の鳥浜(とりはま)貝塚、山形県高畠町の押出(おんだし)、青森市の三内丸山(さんないまるやま)等、と北日本の遺跡にまで広がって行きます。これらの遺跡では麻の仲間の繊維であるアオソやアカソ等のイラクサ科の植物でつくられたムシロのように経と緯に編み込まれた編物(後の編衣=後述)のようなものが出土されています。又、そういった編物と木槌などが一緒に出土している遺跡もあり、これらは木槌で叩いて風合いを改善させたのではないかと思わせるものです。
最近ですが、`01年には北海道恵庭市のカリンバ3遺跡で、動物性のたんぱく質は自然界で分解しやすいのですが、縄文時代後期末(約3千年前)の絹の可能性が極めて高い繊維の痕跡も見つかっています。
● 編衣(あんぎん)
編衣はアオソ(青苧)、アカソ(赤苧)、ミヤマイラクサなど山野に自生している繊維質の強い素材で編まれたものです。近年の考古学の調査により、縄文時代の遺跡から編衣や編衣の布目を付けた土器が多数発掘され、これにより編衣が縄文時代における衣の主流をなしていたと考えられるようになりました。編衣を編むには、2本の脚とその間に渡した目盛を刻んだ角棒(ケタ)、経糸を巻くこもづちを使います。経糸の両端をこもづちに巻いて、糸の中心をケタに掛けます。次に緯糸をケタの上部に沿わせ、手前のこもづちを奥に、奥のこもづちを手前に動かし、経糸で緯糸を絡ませていきます。この時、目盛を一目ずつ飛ばし経糸一本おきに編みます。次の段の緯糸では前に編まなかった経糸で編んでいきます。このように二重編の綾組織で作られています。
●弥生時代
弥生時代では、「魏志倭人伝」の邪馬台国の姿を伝える文章の中に
と書かれており、すでにこの時代には稲や苧麻を育てたり、家蚕を飼育したりして、絹製品あるいは苧麻製品を使用していたことが感じ取れます。 又、遺跡の出土品の中には、絹や麻以外に藤布、葛布、楮布等があります。
●奈良時代
奈良時代の衣服の模様を歌集の中や歴史書等の記録から見ると、楮やシナの繊維で作った衣服が着用されていた事が窺えます。
例えば
豊後風土記 | 栲の皮を取りて、木綿(ゆう)を造る |
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万葉集 | みわ山の、山辺まそゆう、みじかゆう |
古事記 | 白栲(たえ)の袖着備ふ 白妙(栲)にころも取り着て 白妙(栲)ごろも垢づくまでに 鶯のはね白(妙)栲にあわ雪そふる |
といった記述が出てきます。(この当時の木綿(ゆう)は現在の綿の実から取ったものではなく、楮(こうぞ)の皮をはぎ、その繊維を蒸し水にひたして裂いて糸としでたものです。)
これらを見ると、西日本では木の靭皮としては楮《=栲(たく)は楮(こうぞ)の古名であり栲(たえ)ともいいます》が広く使われていたのではないかと思われます。(東北地方の寒冷地ではシナが使われていたようです。)
もちろん、これらの記録や歌の多くは貴族階級の人達の手によるものであり、正確に原料が何であったかは知る由もなかったでしょうし、栲が広義では布の総称としても用いられていたこともありますが、少なくても樹皮を織物の原料として使用していた事が読み取れます。そしてその布は白くさらして白布のままでも用いられましたが、多くの場合は、どんぐりの実等を煮沸してその汁で染められていましたので、色は黒っぽいものが多かったようです。