日本の家紋・紋付は西洋のエンブレム・キルトスカート
日本の家紋に対しては西洋のエンブレム【emblem】という事になるのですが、民族的な衣服として見ますと、日本の紋付はスコットランドのキルトスカート(タータン)と近しいと考えます。
先ず、家紋らしきものが定着しはじめたのは平安時代あたりからのようです。最初は牛車の車輪に飾として紋様をつけたのが始まりであり、その紋様が、所持品や家財道具、その他にも利用されるようになりました。この紋様は、武家社会となった鎌倉時代に上級武士の間で広まって行くのですが、衣服として用いられるよりも、むしろ、より実用的に戦場での敵味方の識別として、幟や旗あるいは陣幕に自己をアピールするための印として用いられました。これが、時代劇でよく登場する『旗紋』や『幕紋』です。
衣服としての紋付は室町時代に出現したようですが、(NHKドラマの北条時宗で紋付を着ている場面が出てくるか、注意してご覧下さい。鎌倉時代ですから紋付で出てくれば、私の取材が間違いです。)太平の世となった江戸時代には戦場での識別の意味は薄れ、家を表すステータスとして広まり衣服の紋付として広まっていきました。そして、家紋の種類も増えるにつれ、昔のように、すぐに識別できる簡単な紋様とは異なり、デザインも装飾的、且つ複雑になっていきます。
現在、家紋は約2万種ほどあります。そのパターンからいうと、家を表す紋の数は世界最多であろうと思われます。元々は貴族や武家階級のシンボルとして始まりましたが、今では幅広く一般庶民にまで広まっています。
男性の正装は紋付袴
江戸時代では武士の正装は裃に紋付と長袴が正装とされていましたが、明治時代に入り男性の正装は、紋付袴であると決められました。式服に据える家紋は、五つ紋、三つ紋、一つ紋とあり各々の違いがあります。正面の両肩下(胸の上)、背中、両袖裏側中央の5箇所に据えるのが「五つ紋」で、最も格式の高い礼装となります。「三つ紋」は背中と両袖に紋があります、そして、背中に一つが「一つ紋」で、気軽なパーティなどにも着られる略礼装に当たります。
女性の正装は黒留め袖の五つ紋
女性の場合を見ますと、江戸時代には女性が公式の席につく事が先ずありませんでしたから、正装という概念がなかったかもしれません。着物の世界では女性の正装は「黒留め袖の五つ紋」とされています。留袖には、黒留め袖と色留め袖があり、生地に色のついた裾模様が色留め袖で、黒留袖の方が正式とされています。ともに全体に模様の入った豪華な訪問着よりも格は上となっています。
家族のシンボル家紋
現在では着物を着る機会も少なくなって、家紋とか紋付といった話題もだんだん薄れてきていますが、家族のシンボルとして、昔ながらの家紋も良いですが、家族のオリジナルの家紋を創るのも面白いかもしれません。