菅(すげ)、棕櫚(しゅろ)、楮(こうぞ)なども衣服の素材として使用されていたと述べましたが、今回は楮から作られていた白石紙布について述べてみたいと思います。
白石和紙で織った白石紙布
白石は現在の宮城県白石市であり、江戸時代までは伊達藩の出城で白石城主・片倉小十郎の所領でした。東北地方は奥州和紙の産地として有名でしたが、その中でもこの白石地方は良質の和紙の産出していました。この白石地方の産物、白石和紙で織ったのが白石紙布であります。白石紙布は初め、城下の武士の内職として存在していましたが、伊達藩の献上品として使われるようになってからは品質が向上し、需要も多くなりました。しかしながら、武家のあいだでだけ用いられていたので明治維新後に途絶えてしまいましたが、後年に佐藤忠太郎が復活させ、戦時中には、繊維不足を補う有効な手段となっていました。
通気性、肌触りのよい白石紙布
作り方は、和紙を裁ってこより状の糸にしてから、機にかけておるわけですが、通気性に優れ、軽く肌触りが良い上に丈夫なため、夏の衣料としては洗濯も可能であり最高級の織物であったと言われており、武家の裃(かみしも)をはじめとして夏の衣服地全般に用いられていました。現在では、その技法を伝えているのは白石市に在住されている遠藤まし子というおばあちゃん一人になってしまったようです。
又、和紙そのもので作った衣服もあり(紙子と言うそうです。)昔は防寒着に使用されていたそうです。この和紙で作った衣服は奈良東大寺の二月堂で行われる「お水取り」の僧侶の装束が昔からこの紙子となっています。有名なところでは1985年のパリコレで三宅一生がこの紙子を取り上げ脚光を浴びました。