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服育コラム

VOL.19 【紋付とキルトスカート】タータン

タータンとは格子縞の織布

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タータンとは格子縞の織布のことをいいます。 タータンの起源はローマ帝国時代にさかのぼります。 ケルト民族は、当時から格子縞の生地を製造していました。 染料をそれぞれの土地の植物から取っていましたから、身につけている生地の柄を見ればどこの土地の者か分かりました。このような、地域のタータンがスコットランドの高地地方(ハイランド)におけるクラン制度の進展によって、クラン(氏族)の構成員であることを示す「クラン・タータン」へと発展するのです。

しかし、1746年カローデンの戦いでイングランド軍に大敗し、国家としてのスコットランドは消滅しクラン制度も崩壊してしまいました。スコットランドの制度や風俗は徹底的に弾圧されタータンの着用も禁止されてしまいました。約40年の禁制の後、禁止の法令が廃止された後も、タータンは最早過去の遺物となってしまったのです。

1822年スコットランドのエジンバラを訪問した英国国王ジョージ四世は、自らタータンを身につけ、スコットランド人にタータンの着用を提言し、ここに復活をみることとなりました。しかしながら当時、古いクラン・タータンの多くは失われていました。今日に伝わっているクラン・タータンの多くはこの頃作られたものであります。そしてこれらは現在、1963年に設立された「スコッティッシュ・タータンズ・ソサエティ」がタータンを公認しています。

タータンにはクランのタータンの他、これを着用する資格のない者の「地域タータン」、学校や軍隊のものなどがあります。ただし、現在タータンは世界中で愛好されており、その着用の資格を定めるのは不可能に近くなっています。現在よく知られている「ロイヤル・スチュワート」はもともとスチュワート家のクラン・タータンですが、現在は英国女王個人のタータンになっています。ジョージ四世がエジンバラ訪問の際に着用したもので、後にジョージ5世がスコットランドのスチュワート王家との絆を示すために一族のタータンとして採用したものであります。

クラン・タータンには「現代色」modern shadeと「古代色」ancient shadeとがあります。「古代色」と言っても、古代のタータンのことではなく明るい色調で織られたものです。鮮やかなタータンのクランは、野外や非公式な場で着用する暗色の「ハンティング・タータン」を持っています。また、地色を白にしたものを「ドレス・タータン」と呼び、これはクランの婦人に愛好されたものでした。

日本の紋付とスコットランドのタータン

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私達日本人はファッションの一環として、タータンチェックを色柄ともに何の制限もなく自由に着用できますが、スコットランド人のタータンチェックに対する思い入れは、我々とは違ったものがあります。日本の和服が冠婚葬祭用に特化していったように、平常時にはスコットランドの人がタータンを身に着ける機会は、確かに少なくなっています。日本と同じように、キルトを身に着けるのは、非日常的な行事が行われるときのみに限られているようです。それは、祝賀会、結婚式、舞踏会、パーティー等々です。

タータンがスコットランドとイングランドの間で続いた長い興亡の歴史の中で19世紀前半に復活した事、そして日本の紋付も長い歴史の中で17世紀(江戸時代)に正装として確立され、そして19世紀後半(明治初期)に国が着用基準を定めた事を考えますと、文化は全く違っても文化として進化する過程は同じなのではないかと思います。紋付と同じようにタータンも色彩や図柄が氏族によって違っていますが、身分によっても柄糸の数が違っていたようです。それは、オーギュスト・ラシネ(世界の服飾1『民族衣装』石山彰監修 マール社の著者)の長年の研究で、概ね、農民、兵士は1色、将校2色、氏族の頭は3色、貴族は4~5色、すぐれた哲人(宗教界)は5色、王族が7色になっているのが明らかにされました。位が上になるほど色数が増え、見栄えのするタータンを身に着けることが出来るという事ですが、多色使いで手の込んだ織物はコストが上昇し、金銭に余裕のある人達でなければ着られないという事かもしれません。

スコットランド人の愛国心とともに歩んだタータン

さて、1969年にアポロ12号で初めて月へ行ったアメリカの宇宙飛行士のひとりであるアラン・ビーンはスコットランド人を先祖に持っています。彼は、タータンを月に持参したそうです。約160万kmにわたる月への旅行を果たしたこの布は、史上最長の旅をしたタータンとなりました。彼はなぜNASAの規則に反してまで、月面までタータンを持って行ったのでしょうか? スコットランド人なら、きっと「我々は月でも愛国心を示したいのさ。」と答えるでしょう。 タータンはスコットランド人の愛国心と共に歩んだのです。